
真夏の広島。
ずっと、この季節に来てみたかった。
ようやく叶った。
「はだしのゲン」の著者・中沢啓治先生の墓前に手を合わせ・・・
と、言いたいところだけど、
先生のお墓がある場所が公にされていない(お墓はないのだという話も)ので、
平和公園の慰霊碑に、手を合わせる。
(この写真は、少し前の8月2日のもの。
6日の式典にむけて、巨大な献花台を作っている途中でした。)
■ ■ ■
慰霊碑の前に立ち、中沢先生に話しかけてみる。
・・・・・・
先生、ご無沙汰しています
3度目の広島です
先生の故郷でお会いできる日がくるとは、です
先生の漫画で育った子ども・・・だったわたしたちも、
こうして大人になりました
先生の漫画から、たくさんの大切なものを受け取ったはずなのに、
とうとう、先生が生きているうちに、核のない、
平和な世界を見せてあげられなくてごめんなさい
残念ながら、先生が望んだ世の中には、まだまだほど遠いです
・・・・・・
これは、いつも思うこと。
でも、
慰霊碑の前に立って、ふと、
先生、そちらで、進次や英子ねえちゃんに、お父様に、
会えましたか・・・?
と尋ねてみた。
そうなんだ、先生は、
小学1年生の時に、原爆で失ったお父様、ご兄弟と、
実に、65年振りに、再会されたはずだ。
65年間・・・って、
途方もなく長い時間。
考えただけで、胸が苦しくなる。
「先生には、もっともっと生きていてほしかった」
というのは、自分のエゴだなあ・・・。
先生は、65年間、必死で戦って、戦い抜いて、
ようやく今、ご家族とゆっくり暮らしていらっしゃるはず。
そう思いたい。
■ ■ ■
正義、また別の正義、
利害の一致と不一致、
傲慢、保身、メンツ、既得権益・・・
いったい誰が、何が、悪かったのか。
いったいなぜ、この、7つの川が流れる美しい街に、
あんな恐ろしい爆弾が投下されねばならなかったのか。
大人になればなるほど、あの戦争のことを知れば知るほど、
その答えはわからなくなってきた。
わからないまま、考え続けている。
過ちを繰り返さないために。
考え続けることを、絶対にやめない。
ここに眠る全ての魂に、いま誓えるのは、本当にそれだけだ。
■ 島病院米軍が原爆投下の標的にしたのは、T字型の相生橋だったが、
実際には300メートルほどずれて、産業奨励館(原爆ドーム)の裏手にある、
この島病院が爆心地となった。
■ 袋町小学校平和記念館爆心地から460メートルのところにある袋町小学校。
壁面は煤で真っ黒になり、生存者が伝言を書き残した。
現在は、その一部を資料館として保存している。


(※ 許可をいただいて撮影しました)
■ 呉・大和ミュージアム軍港として栄えた町、呉にも足を運ぶ。
10分の1スケールの戦艦大和や
日本に1機しか残っていない零式艦上戦闘機六二型、人間魚雷「回天」などの実物を展示。





※上記3つのデータは、手元のガイドブック「ココミル(JTBパブリッシング)」より拝借
- 2014/08/06(水) 23:22:51|
- 旅の写真
-
| トラックバック:0
-