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村上かつらブログ

中沢啓治先生を悼んで

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クリスマスの朝。
漫画家の、中沢啓治先生の訃報を知る。



中沢先生は、19日、広島市内の病院で、肺癌で亡くなられた。
73歳だった。



自身の作風が遠く及ばず、公言するのもおそれ多いが、
わたしを形成するもののひとつに、「はだしのゲン」がある。

わたしが漫画を描き始めたきっかけは、
もともと絵が得意で、それが高じて・・・とかじゃない。

小学生の時、はだしのゲンを読んで、
あまりにも強い、強いショックを受けて、
ショックのあまり、紙に鉛筆で反戦漫画を描いてみたことが
今の仕事に繋がっている気がするのだ。




■ ■ ■ ■ ■




8年前、編集さんのはからいで、
当時所沢にあった、先生のアトリエにお邪魔したことがある。
一生忘れられない日だ。



先生の自伝にも出てくる、
同郷の奥様が出迎えて下さった。感激だった。
絵はまったくの素人だった奥様が、
締め切り前にはベタを塗り、トーンを貼り、
4巻(はだしのゲン、の)あたりでは、背景も描かれていたという。
素敵な話だ。



本棚には、さまざな言語で翻訳された「はだしのゲン」のコミック、
ミュージカル版、オペラ版のパンフレット、ポスターが飾られ、
「ゲンの全てがここに!!!」と、興奮した。





昭和20年8月6日8時15分。

国民学校の1年生だった中沢先生は、学校へ向かう途中だった。

校舎の塀に遮られ、かろうじて、原子爆弾の熱線を避けることが
できたが、爆風に吹き飛ばされたその塀が背中に覆い被さって、
先生は下敷きになってしまった。
(この体験は、主人公中岡元の被爆体験として描かれている)



そのとき首に負った火傷が、今も残っている、と、
不意に、こちらに背を向けた先生の、
すっと伸びた背筋があまりに美しくて、息を飲んだ。

ふつう、長年絵を描き続けていると、
身体には、座業特有の「癖」が蓄積するはずなのだ。


そういったものを、意志の力ではねのけてきたような
まっすぐな背中だった。




■ ■ ■ ■ ■




中沢先生が、もう、この世のどこにいもいない。


今日は朝から、いろいろなことを思い出している。
思えば、子供の頃からずっと、この日が来ることを恐れていた。



まだ、だめだ。
まだ、居てくれなきゃ、だめだ。

まだ、先生が望んだ世界に、ほど遠いのに。

核の廃絶どころか、同じ日本で、
新たな放射能の犠牲者を出してしまったというのに・・・。
 



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漫画という表現手段を、今も信じているのは、
「はだしのゲン」からもらったものが、
とてつもなく大きかったからだろう。



中沢先生、わたしたちに「はだしのゲン」を描いてくれて、
ありがとうございました。(合掌)








■ ■ ■ ■ ■
まだうまくまとまりません。
いつかあらためて。ごめんなさい。






  1. 2012/12/25(火) 22:53:59|
  2. その他
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